樹木だけでなくお花を植えて、動植物多様性を増やしていきます。生き生きな公園にしたいと思います。そのためには土をよくする必要があり、卵の殻を募集しています。

仲田の森の歴史


出典:農業生物資源研究所(つくば)
 自分の街のルーツを知るのは大切でしょう。海外に出たとき、故郷を語れない人は国際人として恥ずかしいと聞きます。せっかく仲田の森で遊ぶのなら、ちょっとその歴史も見てみましょう。

 日野は養蚕業(※1)に適した土地でした。日野市長がおっしゃる農家の米作りとともに、農家が養蚕業でも生活していた歴史は、日野の農家から輩出した新選組の経済的基盤ともつながるでしょう。

  自然体験広場・仲田の森は、昭和3年設立の「農林省・蚕糸試験場日野桑園」でした。この場所が数多くの候補地から選定されたのは、風通しのよく水はけのいい養蚕業に適した土地、というのが理由のようです。そこは蚕(かいこ)と、エサの桑(くわ)を研究する国策施設で、昭和55年につくばへ移転し閉園。その後は一般に公開されず、約30年で大地から再生した森です。

  現在は当時の遺構と、イチョウ・ケヤキの並木を中心とする市民の安らぎの場となっています。 皆に利用される「桑ハウス」は、かつての「第一蚕室」で、昭和5年に作られ、丈夫な蚕を育てる研究室でした。桑の会などの調査から産業遺産に匹敵する建物であることが分かっています。隣接する「仲田小学校」は研究員の住居エリア、「スポーツ公園」は桑畑でした。
 「庁舎」などコンクリート基礎と、再生する木々が一体化した廃墟風景は、日本では他に見られない特筆すべき風景として残っています。

 ちなみに庁舎は上の写真ね。
 桑ハウス南側の、木が生えている基礎がそれにあたります。

  「区画整理事業」に伴い、国に土地を返したり、「市民の森ふれあいホール」ができたりと、森はいままでの1/3になりますが、それでも緑多き市民の憩いの場です。その蚕糸試験場の歴史は近代日本の生き証人として、また、希有な森の、真の有効活用が切に望まれます。


<<関連資料まとめ>>

◆郷土教育推進研究員会報告書 「『郷土日野』指導事例 第5集」
 項目「蚕糸試験場跡」 
…日野市立教育センター調査研究事業
http://www.hino-tky.ed.jp/center/modules/wfdownloads/viewcat.php?cid=3

「桑ハウス」酒井哲氏
◆蚕糸試験場のこと
(自然体験広場・仲田の森の歴史)

◆桑ハウス<旧第一蚕室の魅力>
…酒井哲さん(Town Factory)

◆「蚕糸研究のパネル」
…加藤弘さん(ページちょっと重め)
3列のうち、一番左側のまん中あたりに「日野」の項目


(※1)ようさんぎょう
蛾の幼虫・蚕(かいこ)を飼って、その繭(まゆ)から当時高級品の絹をつくる産業